平成30年度 年次経済財政報告 ―「白書」:今、Society 5.0の経済へ― (キャッシュ)
このように日本経済は戦後最長に迫る景気回復の一方で、GDPギャップが縮小する中、企業の人手不足という課題に直面しており、今後は企業の生産性や日本経済全体の潜在成長率を高めていくことが特に重要になります。潜在成長率とは潜在GDPの成長率のことである(*1)。
*1:日本銀行調査統計局『需給ギャップと潜在成長率の見直しについて』2017年4月(以降「前掲日銀」とする)2ページ、吉田充(内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付)『GDPギャップ/潜在GDPの改定について』2017年6月(以降「前掲内閣府」とする)22ページ。
実際のGDPと潜在GDPの差をGDPギャップあるいは需給ギャップと呼ぶ(前掲日銀2ページ、前掲内閣府4ページ)。
IMFはGDPギャップ(output gap)および潜在GDP(potential GDPあるいはpotential output)を次のように定義する(*2)。
The output gap is an economic measure of the difference between the actual output of an economy and its potential output. Potential output is the maximum amount of goods and services an economy can turn out when it is most efficient—that is, at full capacity.拙訳:GDPギャップは1つの経済指標であり、ある経済の実際のGDPと潜在GDPとの差である。潜在GDPとは、ある経済が最も効率的であるとき――すなわち最大生産能力にあるとき――に生産できる財とサービスの最大量である。
*2:IMF「What Is the Output Gap?」(キャッシュ)
続くIMFの説明にはこうある:
Just as GDP can rise or fall, the output gap can go in two directions: positive and negative. Neither is ideal. A positive output gap occurs when actual output is more than full-capacity output.拙訳:GDPが増減するのと同様に、GDPギャップもプラスとマイナスの2方向に動きうる。どちらも理想的ではない。プラスのGDPギャップは、実際のGDPが最大生産能力よりも大きい場合に起きる。
潜在GDPは最大の生産量であるが、実際のGDPがそれ以上になることがある、と説明されている。
この矛盾は例えば次のように指摘されている(*3)。
For example, in the October 2015 World Economic Outlook, the IMF projects Spain to have an unemployment rate of 16.6 percent in 2019. Yet, even by the IMF's lowest estimate of the output gap — the difference between potential and actual GDP — Spain's GDP is forecast to be above potential GDP in 2019. In other words, the IMF estimates that Spain will in some sense be fully employing its labor force despite one in six still looking for work.拙訳:例えば、2015年10月の『世界経済見通し』において、IMFは2019年のスペインの失業率を16.6%と推定している。しかしながら、IMFによるGDPギャップ――潜在GDPと実際のGDPの差――の予測のうち最も小さいものでも、2019年のスペインのGDPは潜在GDPよりも大きいとされている。言い換えると、IMFは6人に1人が職を探しているにもかかわらず労働力の全てが雇用されているだろうと予測している。
*3:David Rosnick『Potential for Trouble: The IMF's Estimates of Potential GDP』2016年4月、2ページ。
つまりIMFの説明は矛盾している。潜在GDPが最大生産能力における生産量であれば、実際のGDPがそれを超えるはずはない。
現実に、前掲内閣府によるとGDPギャップがプラスである期間(つまり実際のGDPが潜在GDPを上回っている期間)が存在する(*4)。
*4:前掲内閣府、第1-1-14図 GDPギャップの動向(キャッシュ)
よって、潜在GDPとは、その時点でその経済が達成できる最大のGDPではない。
日銀および内閣府による潜在GDPの定義は、IMFのものとは異なる。
日銀は潜在GDPを、景気循環の影響を均してみた「平均的な供給力」とし(前掲日銀2ページ)、内閣府は「経済の過去のトレンドから見て平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」と定義する(前掲内閣府6ページ)。いずれも過去のトレンドから見た平均であり、潜在GDPというよりむしろ「平均予想GDP」と呼んだほうが誤解が少ないと思われる。
潜在成長率は潜在GDPによって定義されるので、潜在GDPが過去のトレンドから見た平均的なGDPであることから、潜在成長率とは過去のトレンドから見た平均的な成長率であり、同様に「平均予想成長率」(*5)と呼ぶべきものと思われる。
*5:「平均成長率」と呼んだほうがいいのでは、という指摘がすでにある。『潜在成長率は成長の限界を意味しない。実際の成長が潜在成長率を高める』経済、政治、テクノロジーなど豊かな未来のために知っておきたいこと、2018年6月9日(キャッシュ)
まとめると、少なくとも日銀および内閣府によるデータを見る場合には、潜在成長率とは、過去のトレンドから見た平均的な成長率のことであり、要は現時点までの成長の実績を平均したものであって、(言葉自体が印象として与えるような)「可能な最大の成長率」のことではないということになる。IMFのデータについても、指摘されているように実際のGDPが潜在GDPを超えうるのだから、潜在GDPは可能な最大のものと見ることはできない。
冒頭の『白書』には次の記述がある。
潜在成長率とは、労働や資本の平均的な稼働率で実現できる供給能力、いわば経済の基礎体力を示しますが、現状は、潜在成長率が実際のGDPに追い付かず、両者の差を示すGDPギャップがプラスになっていますこの潜在成長率の説明は誤導的である。前掲日銀や前掲内閣府は、過去のトレンドつまり実績の平均であると明確に述べるが、この『白書』の定義は「平均的な稼働率で」とするだけで、実績との関連を明示していない。つまり、労働や資本の(実績でなくそれ自体の能力としての)平均と誤読することができる。
冒頭に掲げた『白書』の記述をもう一度見てみる。
今後は企業の生産性や日本経済全体の潜在成長率を高めていくことが特に重要になります。潜在成長率を今後高めていくとは、成長の実績の平均を高めることであるから、単に「成長していく」と言っているにすぎない。つまり、潜在成長率を高めることは経済が実際に成長することそのものであって、経済成長の手段にはなりえない。
報道は例えば次のようになる(*6)。
一方、少子高齢化で人手不足が深刻化しており、経済の実力を示す潜在成長率の向上が日本経済の大きな課題だと訴えた。*6:時事通信『景気拡大「戦後最長迫る」=潜在成長率の向上課題-経済財政白書』2018年8月3日
まさに誤読の結果と言えよう。