なんかちゃんと夫婦別姓を実現するために、現状か民法改正か二択みたいな話になってるので、もっと簡単で影響の少ない方法があるんじゃないかと思って考えてみた。
前提。いま夫婦別姓が望ましいという話は、姓が変わる側の不便(コストなど)から出てきてると私は認識している。そうであれば、要は結婚したあとでも、旧姓で公的に身分が証明できればいいわけだ。
で、考えた案は、戸籍と住民票に結婚前の氏(旧氏と呼ぶことにします)を併記すること。ほんとは姓でなくて氏だったはずだよね。氏名の氏だもの。
以下、わかりやすくするために、妻の氏が変わるパターンとする。
戸籍には今でも旧氏が分かる情報がたしか載っていたと思うが、それだけではなくて、妻の欄かどこかにちゃんと旧氏を明記する。そしてそれも公式の氏であることがわかるようにする。
住民票には今は旧氏が書いてないと思うけど、これにも妻の欄に旧氏を明記する。そして印鑑証明にも戸籍の氏(というのかな。普通の氏ね)と旧氏を併記する。
ただし戸籍の構成は変えない。だからこの夫婦に子が生まれると、戸籍の氏が子の氏となる。
これだけだといろいろ不便だろうから、せめて運転免許証と、何だっけ、市役所とかで発行してくれる身分証明書があったよね、あれには両方の氏を記す。だからこれらの書き換えは必要。でも運転免許証は書き換えといた方がメリットが多いし(両方の氏を証明するのにいちいち金かけて戸籍抄本だの住民票の写しだのを取る必要がなくなる)、免許証の裏への追記で可能だし、次の更新の時には自動的に表面に両方の氏が載る。
で、まあ、これら戸籍謄本抄本、住民票の写し、印鑑証明書、運転免許証とかの公的身分証明を、みんなで公的皆氏身分証明とか呼んで使えばいいのでは。
これで大丈夫だと思うんだがどうだろう。旧氏も戸籍の氏もどちらも正式な氏。だからこれまで登録したものは一切変えなくてよい。戸籍上の親子関係も変わらないから、民法をいじる必要もなし。法律も、戸籍と住民票への記載方法についてだけ改正すればいい。あ、あと、その両方の氏が戸籍上の氏だよ、とする規定は必要ならば入れないとね。
これらに基づいて発行されるパスポートとか保険証とかいろいろには、併記するような仕組みにしてもいいけど、むしろ書き換えの手間が増えるし、システムを変更するのも大変だろうから、やらない方がいい。だってそれ書き換える手間は、夫婦同姓の場合に書き換えるのと変わらないから、それじゃ意味ないし。
分かりにくかったようなので追記:パスポートや保険証に一方の氏だけが書いてあるようにすることで、結婚前に作ったものはそのまま使えて、結婚後に作るときには、好きな方の氏で作ればいいことになります。
あーもしこれやってくれるなら、ついでに運転免許証への英文併記を是非やってほしい。カードサイズの薄いプラスチック二つ折りくらい日本の技術なら簡単でしょう。国際運転免許証なんていう1年だっけ?しか有効じゃない2千何百円もする不細工で巨大な厚紙を免許センターに買いに行かずにすむように。
2009年10月1日木曜日
2009年9月29日火曜日
Mac OS X の Mail.app でメッセージ振り分けの設定をした(覚え)
OS は Leopard。やりたかったことは、
Mail.app の振り分け機能では、好きなときに好きなルールのまとまりを適用するようなことはできない。さらに、あるルールの動作の結果が他のルールの動作に影響を与えることができない(例えば、あるルールでメッセージの状態を変え、他のルールでそれに基づいて処理を行なうことはできない)ように設計されているようだ。つまりフィルタは受信箱に入る時に適用されることだけを想定しているように見える。
だから上に書いたようなことをするには、先に(メールを受信した瞬間に)振り分けを行なうしかない。すると未処理メッセージを上のように読むには、スマートメールボックスを使うことになる。つまり、
でもこのやり方では、一度スマートメールボックスで開封して、誤ってそのスマートメールボックスから離れてしまうと、開封したメッセージは振り分け先のメールボックスから探し出さなければいけない。これは危険だ。
そこで、フラグを使って以下のようにして解決した。
- 未処理のメッセージは特定のメールボックスで見る。
- 処理済のメッセージはそのメッセージに応じたメールボックスに移す。
Mail.app の振り分け機能では、好きなときに好きなルールのまとまりを適用するようなことはできない。さらに、あるルールの動作の結果が他のルールの動作に影響を与えることができない(例えば、あるルールでメッセージの状態を変え、他のルールでそれに基づいて処理を行なうことはできない)ように設計されているようだ。つまりフィルタは受信箱に入る時に適用されることだけを想定しているように見える。
だから上に書いたようなことをするには、先に(メールを受信した瞬間に)振り分けを行なうしかない。すると未処理メッセージを上のように読むには、スマートメールボックスを使うことになる。つまり、
- ルールで振り分けをする
- 未開封となっているメッセージをスマートメールボックスで読む
でもこのやり方では、一度スマートメールボックスで開封して、誤ってそのスマートメールボックスから離れてしまうと、開封したメッセージは振り分け先のメールボックスから探し出さなければいけない。これは危険だ。
そこで、フラグを使って以下のようにして解決した。
- 受信箱に入るメッセージには無条件にフラグを立てる
- ルールで振り分けをする
- フラグが付いたメッセージをスマートメールボックスで読む
- 処理が済んだら手でフラグを落とす(削除や明示的な移動もできる)
- 受信箱に残っている(振り分けるルールがない) メッセージを手で移動するなり消すなりする
2009年9月14日月曜日
子供の携帯電話所持規制について
Twitter にて:
というつぶやきがあったので、ちょっと考えてみた。
まず法律による規制の是非について。
携帯電話に限らず、道具には良い用途もあれば悪い用途もある。ナイフや自動車と同じ。携帯電話には明らかに良い用途があるのだから、道具の使用そのものを禁止するのはナンセンスだ。
禁止すべきなのは、他者や社会に危害を加える行為や、 その恐れの高い行為だけ、というのが刑法(罰則による禁止)の基本のはず。そうしないと個人の自由を制限しすぎてしまう。
じゃあどういう行為を禁止すべきなのか。
そこで問題になるのが「ネットいじめ」あるいは「いじめ」という概念だ。これはとても広い概念なのに、一括りで「いじめはともかく悪い」と短絡的に考えがちのように思う。法律との関連では少なくとも、
ところで1はすでに刑法に規定されている。2は、子供が携帯電話でそれをやるから処罰というのはおかしいだろう。3は道徳の話だから法律の範囲外。だから法律は揃っていることになる。
じゃあ新たな規制は必要ないってことか?
うん、私は必要ないと思う。つまり、携帯電話とナイフは同じようなものだってことだろう。ナイフは役に立つものだが、それを使っていじめをすることもできる。犯罪もできる。そういうものを持ち歩くのは道徳的に問題だという考え方もある。だけど、子供がナイフを利用することそのものは法で禁止されてはいない。ではなぜそれで大丈夫なのか。それは、ナイフで人を刺すことは悪いことであり、そういうものをぶらぶらさせてるのはよくないことだと子供が知っているから。
ナイフと携帯電話、どちらが人をひどく傷つけるだろう? 携帯電話の利用を禁止するなら、なぜナイフの使用を禁止しない?
やるべきことは、携帯電話を使って何をしてはならないかを子供に教えることだと思う。ネットなしでは社会生活が成り立たないくらいのネット社会にするのなら、すべての子供がそれを学ぶようにすべき。それが家庭でなのか、学校教育でなのかは、まだよくわからない。法律に関しては学校、道徳に関しては家庭、という分担は考えられるけど。
さらに。子供が他人に対して名誉毀損や侮辱をすることを法律で完全に止めようとしてはならないと思う。
学校では子供は喧嘩する。しかしそれは傷害罪として法律で処理されない。喧嘩が悪い、殴られたら痛いということをそこで学ぶためだ。ネット社会に出ていく子供は、これと同じように、何をしたら悪い、何をされたらつらい、ということを学ばないといけないのではないか。そのためには、子供の間の名誉毀損や侮辱を法律で処理してはいけないと思うし、携帯電話そのものを使用禁止にしては何も学べなくなってしまうのではないかと思う。
ネットいじめが普通の喧嘩やいじめと違うところはもちろんネットで起きることだ。そうすると、広大なネットのどこかでいじめが起きて、それは見つけられるのか、という不安がある。
でも私は、むしろネットいじめの方が発見しやすいと思う。皆が見ることができるようなサイトなら検索エンジンに引っかかってくるだろう。(公開されていないサイトでは難しい。が、それはあきらめなければいけないと思う。人の口には戸が立てられない。公でない発言まで防ぐことはできない。)そして書き込みが見つかれば、書き込んだ人間を特定するのは(そうしたければ)それほど大変ではない。
ネットいじめ以外にも、有害サイトなんて問題もあって、それは別の話になるけど、私が考えると結局は
子供って、大人が思いもつかないようなことをしてくれるものではないかな。携帯電話を持たせておいたら、知らないうちに各国の子供達とつながっていて、今の大人が苦労して国際関係を維持したり平和を守ったりしているのを、後でいとも簡単に実現してしまう、そんなことだってもしかしたら起きるかも知れない。近視眼的に大人の感覚で子供を「守ろう」とするのは、もしかしたらまったく見当違いかも…
…なんてことをとりあえず思った。
関連する興味深い記事:学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。
今夜の教育関係者の会合で、子どもの携帯電話所持に関して規制すべきかどうか聞いてきたが、意見が真っ二つに分かれる。何かあったときの連絡用に防犯上必要という意見と、小中学生まではネットいじめなどの入口となる携帯は絶対規制すべきという意見。皆さんはどっちだろう?http://twitter.com/K_Onishi/status/3939288886
というつぶやきがあったので、ちょっと考えてみた。
まず法律による規制の是非について。
携帯電話に限らず、道具には良い用途もあれば悪い用途もある。ナイフや自動車と同じ。携帯電話には明らかに良い用途があるのだから、道具の使用そのものを禁止するのはナンセンスだ。
禁止すべきなのは、他者や社会に危害を加える行為や、 その恐れの高い行為だけ、というのが刑法(罰則による禁止)の基本のはず。そうしないと個人の自由を制限しすぎてしまう。
じゃあどういう行為を禁止すべきなのか。
そこで問題になるのが「ネットいじめ」あるいは「いじめ」という概念だ。これはとても広い概念なのに、一括りで「いじめはともかく悪い」と短絡的に考えがちのように思う。法律との関連では少なくとも、
- 刑法上の犯罪:名誉毀損や侮辱など
- 犯罪ではないが民事的に損害賠償になるようなもの:個人情報の書き込みとか
- 上のいずれにも当たらない道徳的に問題のある書き込み:単に不快を与えるようなもの、例えば誰誰は先生に贔屓されていてずるいとか
ところで1はすでに刑法に規定されている。2は、子供が携帯電話でそれをやるから処罰というのはおかしいだろう。3は道徳の話だから法律の範囲外。だから法律は揃っていることになる。
じゃあ新たな規制は必要ないってことか?
うん、私は必要ないと思う。つまり、携帯電話とナイフは同じようなものだってことだろう。ナイフは役に立つものだが、それを使っていじめをすることもできる。犯罪もできる。そういうものを持ち歩くのは道徳的に問題だという考え方もある。だけど、子供がナイフを利用することそのものは法で禁止されてはいない。ではなぜそれで大丈夫なのか。それは、ナイフで人を刺すことは悪いことであり、そういうものをぶらぶらさせてるのはよくないことだと子供が知っているから。
ナイフと携帯電話、どちらが人をひどく傷つけるだろう? 携帯電話の利用を禁止するなら、なぜナイフの使用を禁止しない?
やるべきことは、携帯電話を使って何をしてはならないかを子供に教えることだと思う。ネットなしでは社会生活が成り立たないくらいのネット社会にするのなら、すべての子供がそれを学ぶようにすべき。それが家庭でなのか、学校教育でなのかは、まだよくわからない。法律に関しては学校、道徳に関しては家庭、という分担は考えられるけど。
さらに。子供が他人に対して名誉毀損や侮辱をすることを法律で完全に止めようとしてはならないと思う。
学校では子供は喧嘩する。しかしそれは傷害罪として法律で処理されない。喧嘩が悪い、殴られたら痛いということをそこで学ぶためだ。ネット社会に出ていく子供は、これと同じように、何をしたら悪い、何をされたらつらい、ということを学ばないといけないのではないか。そのためには、子供の間の名誉毀損や侮辱を法律で処理してはいけないと思うし、携帯電話そのものを使用禁止にしては何も学べなくなってしまうのではないかと思う。
ネットいじめが普通の喧嘩やいじめと違うところはもちろんネットで起きることだ。そうすると、広大なネットのどこかでいじめが起きて、それは見つけられるのか、という不安がある。
でも私は、むしろネットいじめの方が発見しやすいと思う。皆が見ることができるようなサイトなら検索エンジンに引っかかってくるだろう。(公開されていないサイトでは難しい。が、それはあきらめなければいけないと思う。人の口には戸が立てられない。公でない発言まで防ぐことはできない。)そして書き込みが見つかれば、書き込んだ人間を特定するのは(そうしたければ)それほど大変ではない。
ネットいじめ以外にも、有害サイトなんて問題もあって、それは別の話になるけど、私が考えると結局は
- フィルタリングサービスは携帯電話各社あるいはそういうサービスの業者が自由に提供し、競争する
- 消費者はサービスを自ら選ぶ
- フィルタリングサービスが不要だと考える家庭の自由は守るべき
- だから法律で義務付けるべきではない
子供って、大人が思いもつかないようなことをしてくれるものではないかな。携帯電話を持たせておいたら、知らないうちに各国の子供達とつながっていて、今の大人が苦労して国際関係を維持したり平和を守ったりしているのを、後でいとも簡単に実現してしまう、そんなことだってもしかしたら起きるかも知れない。近視眼的に大人の感覚で子供を「守ろう」とするのは、もしかしたらまったく見当違いかも…
…なんてことをとりあえず思った。
関連する興味深い記事:学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。
2009年9月4日金曜日
ブログサービスを比べた
新しくブログサービスを使おうと思って、どこにしようかとちょっと調べてみた。その結果ここ (Blogger) になったんだけど。
機能や容量が一覧できる便利な比較サイトはたくさんあった。でもブログで何かを表現しようと思ったときにどんな制限があるのかを比較してるページは見つからなかった。で、いくつかのサービスについて利用規約を見て選んだ。自分がいろいろ書きそうなのは政治、法律、差別問題とかなので、そのあたりに関して気になったところを抜粋してみる。
livedoor
Seesaa
はてな
FC2
例えば差別に関して論じようとすると、差別的と見なされうる表現を使わざるを得なくなる。ここまでの規定はそこに網がかかっている。というか全体として当り障りのない情報だけ発信できるような規定になっているように見える。
ワールドワイドブログ
ここは心配になるほど規定が甘いんだけど、どうも新規に登録できないみたいであきらめた。
gooブログ
そして最後。
Blogger
いくつか規約を見ると、基本的な考え方が大きく2つに分かれるようだ。
ひとつは、問題になりそうな表現は禁止しておくという考え方。上の挙げた中では Seesaa がこっちの端にあるようだ。
もうひとつは、発信内容についての責任は利用者に負わせて、明らかな権利侵害や違法行為(に加えてサービスや価値観についての+α)だけを禁止するという考え方。こちらの方が表現の自由という考え方に近い。表現者が責任を負うのは当り前なのだから。(と言っても、ひとつめのやり方でサービス提供者が責任を負ってくれる訳ではないが。)こちらの端が上に挙げた中では Blogger(あるいはワールドワイドブログ)だろう。
ま、どこにしたってサービス提供側がどのような理由でもサービス提供を打ち切ることができるようにしてあるので、それについては変わらないけど、基本姿勢がどうかは(当り障りのあるような表現をするかも知れない利用者にとっては)重要だと思う。
というわけで Blogger にしてみた。でもそうやって選んだ割には何も書いてない。
機能や容量が一覧できる便利な比較サイトはたくさんあった。でもブログで何かを表現しようと思ったときにどんな制限があるのかを比較してるページは見つからなかった。で、いくつかのサービスについて利用規約を見て選んだ。自分がいろいろ書きそうなのは政治、法律、差別問題とかなので、そのあたりに関して気になったところを抜粋してみる。
livedoor
第8条(禁止行為)差別表現一般を禁じている。
3. 他者を差別もしくは誹謗中傷・侮辱し、他者への差別を助長し、またはその名誉もしくは信用を毀損する行為
Seesaa
禁止事項かなり制限が厳しい。なかなか判断しにくい事項もある。 禁止項目数も多い。
9. 嫌悪感を与える行為
10. 差別的な行為
11. 倫理的に問題のある行為
12. 品性を欠く行為
13. 特定の利用者にしか理解のできないことを行う行為
16. わいせつ的な表現を行う行為
18. 選挙の事前運動もしくは選挙運動とこれらに類似する行為
はてな
ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような社会的に不適切な行為を行ってはなりません。差別表現をかなり具体的に挙げているが、やはり差別表現一般を禁止している。また、受け手の嫌悪感を基準に表現を禁止する項目がある。
2. 人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為
3. 倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。ポルノ、売春、風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為。
FC2
■禁止行為についてこの2つめは人間以外に対する差別(どう定義されるのだろう)をも禁じている。3つめは…言論の自由や表現の自由をどう考えて作ったんだろう。
ユーザーは本サービスの利用について以下の行為を禁止します。禁止行為を行った場合は予告なく利用を停止しするとともに、禁止行為に基づきFC2または第三者が損害を被った場合は、当該ユーザーはこれを賠償するものとします。
- 公序良俗に反する行為及び表現
- さまざまなトラブルに発展しうる個人、特定団体、製品、その他を差別し、誹謗中傷を行うなど、名誉や信用を毀損する行為。
- 特定の国家、組織団体、統治機構に対して誹謗中傷し、名誉・信用を毀損する行為とそれを助長する行為。
例えば差別に関して論じようとすると、差別的と見なされうる表現を使わざるを得なくなる。ここまでの規定はそこに網がかかっている。というか全体として当り障りのない情報だけ発信できるような規定になっているように見える。
ワールドワイドブログ
ここは心配になるほど規定が甘いんだけど、どうも新規に登録できないみたいであきらめた。
gooブログ
第12条(禁止事項)「信用を侵害する」や「不利益を与える」が何を指すか分からないけど、それほど表現が制限されてはいない。差別を明示的に禁止する項目がないのも大きい。最後に選挙運動が禁止されている(合法であっても)のがやや厳しいか。禁止項目数もやや多い。
1.会員は、本サービスを利用するにあたり、以下に該当し又はその恐れがある行為を行ってはなりません。
(4) 他の会員又は第三者の財産、信用、名誉、プライバシーを侵害する場合
(6) 他の会員又は第三者に不利益を与える場合
(10) 選挙の事前運動、選挙運動又はこれらに類似する場合、及び公職選挙法に抵触する場合
そして最後。
Blogger
Blogger は、コミュニケーション、自己表現、自由な言論の場を提供する無料のサービスです。 Google では、Blogger を提供することで、情報の有用性が高まり、健全な議論が活発化し、人々の新しいつながりが可能になると考えています。
Google では、ユーザーが共有するコンテンツの所有権およびそのコンテンツに対する責任を尊重しており、 このようなコンテンツの検閲は表現の自由に基づく当社のサービスに反するという信念を持っております。
悪意のある表現: Blogger では、議論を呼ぶような意見を表明してもかまいませんが、悪意のある表現は公開してはいけません。これは、人種、民族、信仰、障害、性別、年齢、従軍経験、性的指向/性同一性に基づくグループに対する憎悪や暴力を助長するようなコンテンツを指します。たとえば、特定の人種のメンバーを犯罪者であると書いたり、特定の宗教の信奉者に対する暴力を主張してはいけません。これも差別表現そのものを禁止してないところが大きく違う。あと禁止項目が少ない。
下品なコンテンツ: 衝撃や生々しさだけを意図したコンテンツを投稿しないでください。たとえば、銃創や事故現場のアップ画像は、追加のコンテキストや解説がない場合、このポリシーに違反したものとみなされます。
いくつか規約を見ると、基本的な考え方が大きく2つに分かれるようだ。
ひとつは、問題になりそうな表現は禁止しておくという考え方。上の挙げた中では Seesaa がこっちの端にあるようだ。
もうひとつは、発信内容についての責任は利用者に負わせて、明らかな権利侵害や違法行為(に加えてサービスや価値観についての+α)だけを禁止するという考え方。こちらの方が表現の自由という考え方に近い。表現者が責任を負うのは当り前なのだから。(と言っても、ひとつめのやり方でサービス提供者が責任を負ってくれる訳ではないが。)こちらの端が上に挙げた中では Blogger(あるいはワールドワイドブログ)だろう。
ま、どこにしたってサービス提供側がどのような理由でもサービス提供を打ち切ることができるようにしてあるので、それについては変わらないけど、基本姿勢がどうかは(当り障りのあるような表現をするかも知れない利用者にとっては)重要だと思う。
というわけで Blogger にしてみた。でもそうやって選んだ割には何も書いてない。
2009年8月25日火曜日
2009年8月23日日曜日
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