2012年7月7日土曜日

違法ストリーミングでの動画視聴も違法化する方法

違法アップロードされた動画を私的にダウンロードすることが、違法アップロードを助長し、権利者の利益を損ねているのなら、違法ストリーミングを視聴することだってダメでしょう。同じ話だ。取り締まろうよ。

現行著作権法でできるやり方を考えた。複製とは、第二条の定義によれば、「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをい」う。ハードディスクにダウンロードすることも、「その他の方法により有形的に再製」してるなら、ストリーミングの動画を視聴して頭の中に入れることだって「有形的に再製」と呼べるのでは。(むしろ「有機的」?) だからストリーミングを視聴するのは複製行為だ。

頭の中に入れたものは、歌詞だって、メロディーだって、技術があればアニメ30分だって、もう一度作り直せないこともないよね。そうやって作り直したものは、権利者の利益を損なう恐れがある。いい理由だ。これで、違法ストリーミングを視聴することで頭に入れることを、私的複製の範囲から除外して、違法化できる。やったね。

マジレス勘弁ね。

情報の本質って、複製だと思うんだよね。誰かが知ってることを誰かに伝えるとき、元々持ってた人の頭の中からその情報が消えるわけではない。ならば情報伝達とは、複製の一種だ。敢えてメディアを廃棄するなどの行為をしない限り。いや、廃棄したって頭の中から消すことはできない。

そして、もし情報伝達が複製でなければ、著作権なんて不要だ。情報複製のコストが低いから著作権なんてものが必要になったんで。

コピーライトはもともと、「海賊版」を出す印刷業者を規制して「正規の」印刷業者の利益を守るための仕組みだったようだ。当時はディジタル技術がもちろんないので、複製といえば本を印刷することであり、印刷機など持たない一般人はせいぜい手書きくらいしかできなかったろう。そもそも、売る以外に、自分で同じ本を複製する理由など考えられない。だから、複製とは売って利益を得る目的の行為であり、複製を禁止することは「正規の」印刷業者の利益を守ることに直接つながったんだと思う。

今は違う。私が仮に音楽 CD の内容を CD-R に焼くとしても、その目的は売るだけではない(てか売らないし)。例えば、炎天下をよく移動する車にオリジナルの CD を置いたらジャケットもディスクもかわいそうだから、車では CD-R で聴くとか、そういう用途だってある。あるいは、自分で紙で持っている本を、iPad でも読みたいからスキャンする。こういう複製があり得る。つまり、昔は成立しただろう「複製=売るため」という等式が、今は成立しない。

ならば、本の時代は適切だったと思われる複製権の独占は、今の時代に合っているんだろうか。

著作権法における「複製」という言葉の意味は、日常生活での意味から離れている。

少なくとも私の国語感覚では、複製とは、ここにいま本が1冊あり、それと同じ本を例えば1冊作ることだ。印刷時代の本の印刷は、だから複製である。いや、本を作らなくてもいい。持ってる本を、スキャンして PDF にする。これも複製だ。

しかし著作権法では、上で引用したように、何らかの方法で情報を有形的に再製することをすべて複製と呼んでいる。テレビ放送を自分のハードディスクレコーダに録画することも、複製になる。テレビ画面を写真に撮ることも、きっと複製。

情報の本質が複製であり、情報伝達が原理的に複製だとすれば、複製権の独占とは、情報伝達の独占ということになる。これ、第四十九条が如実に示している。
第四十九条 次に掲げる者は、第二十一条の複製を行つたものとみなす。
これ以下7項目、およそ普通に考えて「複製」とは思えないものが複製と見なされている。全ての項目に「複製」や「録画」という言葉はもちろん入っている。当たり前だ、何をしようとしたって、創作者が最初に作ったもの以外は、全てその情報の複製なんだから。

思考実験で、複製権が本当に権利者に独占されている状態を考えてみた。つまり、第三十条の私的複製が一切許されてない状態。私的複製が、特に積極的な権利でなく例外であって、ダウンロード違法化のように状況によって好きに制限できるならば、私的複製の全く許されてない状態が、著作権あるいは著作権法が想定している基本的な状態だろうから。

すると、情報の受け手は、著作物を見たり聞いたりすることはできるが、それについて一切の記録を手元に残してはならないことになる。加えて第四十九条で、情報を提供する行為も(複製と「見なす」ことにより)権利者に独占されているので、人に伝えることもできない。

ある情報について、正確な知識を個人に与えず、それを受け取り、あるいは伝えることを権利者が独占する。逆に言うと、個人は、権利者が指定する形態で与えられる情報を、記録を取らずに受け取ることだけが許される(それも複製と見なしたら、ってのが冒頭の駄文w)。著作権法の大枠は、こうなっているみたいだ。まさに、情報に対する所有権だな。

そして、私的複製の範囲はどんどん狭められている。

元々、海賊版業者による印刷(すなわち販売)を止めることが目的だったと思われるコピーライトが、どうして特定の情報が複製されたり受け取られたりすることを情報の「所有者」がコントロールできる「著作権」に変わってしまったんだろう。

こういう「情報の私有」と、著作権法が謳う「文化の発展」は、どうもうまく整合してる気がしないんだよな、私は。