夜中に、きっととっても当たり前ですでにたくさんの人が言ってそうなことに気づいた(気がする)ので、いい加減に書いてみる。
尖閣購入で都が寄附を集めたらネトウヨが大量に寄附して、みたいな話がついったーであった。石原さんの出現も、ネトウヨの寄附も、因果関係を見ないと、誰を非難してもしょうがないなぁとか思ったんだけど。
それよりもネトウヨって人じゃなくて行動様式だよなぁと思って、仕事終わったあとの眠い頭でぼーっと考えてた。
ネトウヨって、中韓を嫌って、排外主義で、差別主義で、国家神道を崇めてて、改憲論者で軍備を進めたがってて、2ちゃんねるを使ってて、ついったーアイコンに日の丸つけてて、で今回だと(お金に余裕があれば)都に寄附して、尖閣に自衛隊を駐留させるべきだと主張する、みたいな感じだと思う。
ネトウヨじゃない人は、中国韓国とも仲良くやり、多文化共生をよしとし、差別は人権侵害だから悪くて、特定の宗教を強く信じることなく、護憲論者で平和主義で、2ちゃんねるなんか使ってなくて、ついったーアイコンに日の丸なんてもちろんついてなくて、今回の石原さんの尖閣購入への動きは望ましくないと思ってて、尖閣に自衛隊なんてとんでもないと思ってる。
でさあ、尖閣購入に寄附したら、ネトウヨ呼ばわりされてしまうんだよ。たとえ自分が改憲論者でなくても、ついったーアイコンに日の丸がついてなくても。あるいは、他のすべてがネトウヨ的じゃなくても、ついったーアイコンに日の丸がついているだけでネトウヨと言われるんだ。
つまり、ネトウヨとは、「ネトウヨじゃない人」と行動や考えが少しでも違う人のことなんだよな。そして「ネトウヨじゃない人」の行動様式は、教育とマスコミが良しとする人間像そのもの。
多分、人をネトウヨ呼ばわりする人は、ある人間が総体としてネトウヨ属性を持っていると考えてるんだろうけど、ためしに「この人がネトウヨだ」という人を連れてきて、ネトウヨ的要素のすべてをチェックしてみたら面白いんじゃないかな。
ネットができて、それが価値観の多様性に貢献し(というか情報統制から離れることを可能にした、と私なんかは思うんだけど)、さらにひとりの人間が見えにくくなった。ネットの出現によって必然的に「ネトウヨが現れた」ってことなのかも。
でもさあ、それで多文化共生とか、可能なのかね。日本人の「ネトウヨ」の方がよっぽど行動様式が自分に近いと思うんだけど。