婚外子の相続差別は違憲 「確定事案に影響せず」 最高裁初判断 - MSN産経ニュース
今回のケースだけではなく、一般にその規定が不当な差別かを考えてみた。(判決文そのものはまだ読んでいない。それに左右されず、一般論として考えてみたいから。)
遺留分がそのように設定された目的は事実婚を防ぐためで、その効果は怪しい、という声が聞こえてくる。だが、そこがポイントじゃないように思う。遺留分は、子だけでなく、直系尊属にも規定されている。そもそも遺留分の目的が事実婚を防ぐためなら、直系尊属に遺留分をのこす必要はない。
死んだ人の財産は誰のものか。誰のものと民法は考えているか。
国のものじゃないよね。没収されないから。
すべて本人のものでもない。遺留分の規定があるから。
遺留分は、死んだ人の財産が誰のものかを意味しているととれる。死んだ人の財産は、直系尊属と子のものだ。その人が死ぬ前を考えると、その人の財産は、
- 直系尊属と、
- 死んだ本人と、
- 配偶者と、
- 子のもの。
これはひとつの共同体と考えられる。遺留分は、財産は本人だけのものでなく、共同体のものだよ、と民法は言っているように思える。遺族の生活の保障とか、誰がその財産に寄与したかとかと言われるみたいだけど、簡単に言えば共同体ということではないかな。ある財産を共有して(つまりそれに貢献し、逆に利用して)生活し、生活していく共同体。
とりあえずそういう共同体を仮定して、嫡出子がいる場合に、婚外子がその共同体に入っているかを考える。それは、生活の実体によって異なるだろう。だが日本の現状で、婚外子が共同体に入っていることが一般的かと言えば、そうではないと思う。少なくとも、嫡出子と同程度に共同体に貢献している状態が一般的かというと、そうは思えない。たとえば親が倒れたら嫡出子と婚外子は同程度に看病するだろうか。
嫡出子がいない場合で、婚外子だけがいる場合はどうか。死んだ本人をX、その事実婚の相手をYとする。
Yが(Xでない誰かと)法律婚をしている場合(A)は、婚外子は養子縁組によって嫡出子になれる。それを親とともに選択するかの問題になる。Yが法律婚をしていない場合(B)はさらに2通り(B1, B2)に分けられる。Xが(他の誰かと)法律婚をしている(B1)なら、Xの共同体に婚外子が属していることは稀のように思える。Xも法律婚をしていない(B2)なら、XとYは結婚できるので、これも選択の問題になる。以上からは、婚外子は (1) 嫡出子にできるのにしないという選択をあえてしている、そうでない場合には (2) Xの共同体に属していないことが多い、となる。
(ここには、婚外子の意志のみで親を結婚させたり養子縁組ができない、という問題があるが、それは後でまた。)
以上のように、日本の現状では、多くの場合において婚外子は死んだ本人の共同体に属していない、と言えるように思う。いや、もちろん例外はあろう。でも、多くの場合において、ね。法律はそういう場合を主に扱うべきだと思うから。例外は例外規定で扱おう。
そうだとすると、元々の民法の規定は、この感覚に合っている。つまり、直系尊属と死んだ本人と嫡出子から構成されるひとつの共同体を考え、嫡出子よりも比較的貢献度の低い婚外子を準構成員と考えて、死んだ本人の財産がその共同体のものだとする。
逆に考えてみよう。よく言われるのは、死んだ本人と共同で生活を営んでこなかった婚外子が、本人の死後に突然現れて、嫡出子と同じだけの遺産を要求するというケース。共同で生活を営んできた人にとって、これがおかしい、不公平だと感じるのは自然だ。
事実婚の別のバリエーションもある。X男がY女との間に婚外子Z子をもうけ、Y女が別のW男と事実婚状態で生活しZ子とともに暮らすことは、(Y女が事実婚を選択することから)ありそうだ。このZ子が、X男が死んだ時に遺産を(X男の嫡出子と同じように)相続できるのはおかしくないか。その遺産がY, W, Zの共同体に移されるのは正当か。ふたつの共同体に所属して恩恵を受けられるZ子を、X男の嫡出子は不公平だと思うんじゃないだろうか。
これらを考えると、今の日本で、ある人が死んだ時に、その直系尊属と配偶者と嫡出子を共同体の構成員と推定し(だから遺留分がある)、婚外子を一般に(少なくとも嫡出子と同程度に共同体に貢献する)構成員ではないと推定するのは妥当だと思うんだがどうだろう。
ならば、単に子だからと言って嫡出子と婚外子を同等と推定して扱うのは、逆に不適切な平等だということになる。
今回の違憲判決に対してツイッターでいろんな批判を見るが、このポイントに集約されるように見える。すなわち、普通、「家族」と呼ばれる共同体に属していない婚外子に対して、嫡出子と同じだけ財産を与える強行規定はおかしい、という点だ。それはつまり、かなりの割合の人が(意識せずとも)家族を共同体と考えていて、それへの関与の度合いで遺留分が決まる方が平等であると思っていることを示している。
場合によっては婚外子の方が共同体を構成していたり、あるいは事情があって養子縁組や親の結婚ができない場合もあるだろう。それは例外として救済されるべきであって、嫡出子と婚外子の平等という視点から解決しようとすべきではないのではないか。(そうやって解決しようとすると、上に述べた不公平、不適切な平等が生じ、それを防ぐ手段がない。)
以上が一般論。あとは今回の件で、これは判決を読んでから書くべきだろうけど、とりあえずいま思ってることを書いておく。
以上の不公平感は、私個人の感覚とは思えない。ある程度の割合の人が同様に考えると思う。それがどのくらいの割合か分からない。だが、こういうことこそ議論と多数決、つまり国会で決めるべき事柄ではないだろうか。
平等を判断する線が、一方は子(嫡出子・婚外子問わず)であるか否か、他方は共同体の構成員であるか否か。その違いだとすれば、どちらもそれぞれの意味で平等であって、後者のみを明らかに不平等とは呼べないはずだ。事実、今回違憲とされた民法の規定はそれまでは合憲だったと聞く。最高裁が勝手に状況を判断して、今はこっちが平等、とするのは、法律を解釈する権利を濫用していることにならないか。
ということを今のところ思っている。論理に穴があるのも承知だし、いろいろ見落しもあると思うが、とりあえず書いてみた。今後、時間があったら判決文を読んでまた考えてみたい。