2013年9月5日木曜日

子であることの平等、共同体の構成員であることの平等

婚外子の遺留分が嫡出子の半分という民法の規定が違憲との判決が最高裁で出たという件。

婚外子の相続差別は違憲 「確定事案に影響せず」 最高裁初判断 - MSN産経ニュース

今回のケースだけではなく、一般にその規定が不当な差別かを考えてみた。(判決文そのものはまだ読んでいない。それに左右されず、一般論として考えてみたいから。)

遺留分がそのように設定された目的は事実婚を防ぐためで、その効果は怪しい、という声が聞こえてくる。だが、そこがポイントじゃないように思う。遺留分は、子だけでなく、直系尊属にも規定されている。そもそも遺留分の目的が事実婚を防ぐためなら、直系尊属に遺留分をのこす必要はない。

死んだ人の財産は誰のものか。誰のものと民法は考えているか。

国のものじゃないよね。没収されないから。

すべて本人のものでもない。遺留分の規定があるから。

遺留分は、死んだ人の財産が誰のものかを意味しているととれる。死んだ人の財産は、直系尊属と子のものだ。その人が死ぬ前を考えると、その人の財産は、

  • 直系尊属と、
  • 死んだ本人と、
  • 配偶者と、
  • 子のもの。

これはひとつの共同体と考えられる。遺留分は、財産は本人だけのものでなく、共同体のものだよ、と民法は言っているように思える。遺族の生活の保障とか、誰がその財産に寄与したかとかと言われるみたいだけど、簡単に言えば共同体ということではないかな。ある財産を共有して(つまりそれに貢献し、逆に利用して)生活し、生活していく共同体。

とりあえずそういう共同体を仮定して、嫡出子がいる場合に、婚外子がその共同体に入っているかを考える。それは、生活の実体によって異なるだろう。だが日本の現状で、婚外子が共同体に入っていることが一般的かと言えば、そうではないと思う。少なくとも、嫡出子と同程度に共同体に貢献している状態が一般的かというと、そうは思えない。たとえば親が倒れたら嫡出子と婚外子は同程度に看病するだろうか。

嫡出子がいない場合で、婚外子だけがいる場合はどうか。死んだ本人をX、その事実婚の相手をYとする。

Yが(Xでない誰かと)法律婚をしている場合(A)は、婚外子は養子縁組によって嫡出子になれる。それを親とともに選択するかの問題になる。Yが法律婚をしていない場合(B)はさらに2通り(B1, B2)に分けられる。Xが(他の誰かと)法律婚をしている(B1)なら、Xの共同体に婚外子が属していることは稀のように思える。Xも法律婚をしていない(B2)なら、XとYは結婚できるので、これも選択の問題になる。以上からは、婚外子は (1) 嫡出子にできるのにしないという選択をあえてしている、そうでない場合には (2) Xの共同体に属していないことが多い、となる。

(ここには、婚外子の意志のみで親を結婚させたり養子縁組ができない、という問題があるが、それは後でまた。)

以上のように、日本の現状では、多くの場合において婚外子は死んだ本人の共同体に属していない、と言えるように思う。いや、もちろん例外はあろう。でも、多くの場合において、ね。法律はそういう場合を主に扱うべきだと思うから。例外は例外規定で扱おう。

そうだとすると、元々の民法の規定は、この感覚に合っている。つまり、直系尊属と死んだ本人と嫡出子から構成されるひとつの共同体を考え、嫡出子よりも比較的貢献度の低い婚外子を準構成員と考えて、死んだ本人の財産がその共同体のものだとする。

逆に考えてみよう。よく言われるのは、死んだ本人と共同で生活を営んでこなかった婚外子が、本人の死後に突然現れて、嫡出子と同じだけの遺産を要求するというケース。共同で生活を営んできた人にとって、これがおかしい、不公平だと感じるのは自然だ。

事実婚の別のバリエーションもある。X男がY女との間に婚外子Z子をもうけ、Y女が別のW男と事実婚状態で生活しZ子とともに暮らすことは、(Y女が事実婚を選択することから)ありそうだ。このZ子が、X男が死んだ時に遺産を(X男の嫡出子と同じように)相続できるのはおかしくないか。その遺産がY, W, Zの共同体に移されるのは正当か。ふたつの共同体に所属して恩恵を受けられるZ子を、X男の嫡出子は不公平だと思うんじゃないだろうか。

これらを考えると、今の日本で、ある人が死んだ時に、その直系尊属と配偶者と嫡出子を共同体の構成員と推定し(だから遺留分がある)、婚外子を一般に(少なくとも嫡出子と同程度に共同体に貢献する)構成員ではないと推定するのは妥当だと思うんだがどうだろう。

ならば、単に子だからと言って嫡出子と婚外子を同等と推定して扱うのは、逆に不適切な平等だということになる。

今回の違憲判決に対してツイッターでいろんな批判を見るが、このポイントに集約されるように見える。すなわち、普通、「家族」と呼ばれる共同体に属していない婚外子に対して、嫡出子と同じだけ財産を与える強行規定はおかしい、という点だ。それはつまり、かなりの割合の人が(意識せずとも)家族を共同体と考えていて、それへの関与の度合いで遺留分が決まる方が平等であると思っていることを示している。

場合によっては婚外子の方が共同体を構成していたり、あるいは事情があって養子縁組や親の結婚ができない場合もあるだろう。それは例外として救済されるべきであって、嫡出子と婚外子の平等という視点から解決しようとすべきではないのではないか。(そうやって解決しようとすると、上に述べた不公平、不適切な平等が生じ、それを防ぐ手段がない。)

以上が一般論。あとは今回の件で、これは判決を読んでから書くべきだろうけど、とりあえずいま思ってることを書いておく。

以上の不公平感は、私個人の感覚とは思えない。ある程度の割合の人が同様に考えると思う。それがどのくらいの割合か分からない。だが、こういうことこそ議論と多数決、つまり国会で決めるべき事柄ではないだろうか。

平等を判断する線が、一方は子(嫡出子・婚外子問わず)であるか否か、他方は共同体の構成員であるか否か。その違いだとすれば、どちらもそれぞれの意味で平等であって、後者のみを明らかに不平等とは呼べないはずだ。事実、今回違憲とされた民法の規定はそれまでは合憲だったと聞く。最高裁が勝手に状況を判断して、今はこっちが平等、とするのは、法律を解釈する権利を濫用していることにならないか。

ということを今のところ思っている。論理に穴があるのも承知だし、いろいろ見落しもあると思うが、とりあえず書いてみた。今後、時間があったら判決文を読んでまた考えてみたい。

2013年8月8日木曜日

音声が出た後で

前回(考える日常: 国文読解:麻生副総理の憲法改正めぐる発言)の後、講演の一部音声が出た(麻生副総理の「ナチス憲法」発言の音声)。文章を読んだ時とちょっとニュアンスが違うようだったので、答案を直してみる。
僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。
ここで彼は民主主義の危険性について言っている。
ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
静かに、怒鳴り合いなく、正論を言って、ということなので、「喧々諤々」ではなく「侃々諤々」だったのだろう。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。
「侃々諤々と静かに議論する 」ことと、「騒ぎになる」ことを対置している。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。
マスコミが騒ぐから、マスコミに気づかせないように、我々もわーわー騒がないで、ナチスの手口を学んでやったらどうか、というブラックジョーク。
本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
ここで、また民主主義の危険性の話に頭が戻った。民主主義でも、みんなが納得しても、悪い法はできる。
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、
 直前で民主主義を否定しそうなことを言ったので、それの補足。
しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
…という流れのよう。

ネットで他の解釈を見ると、多くが(例えば↓)

麻生「ナチス」発言の解釈をめぐる、解釈者らの国語力の問題 - Togetter

「静かな例」と「騒いだ例」の2つのはずで、静かな例としてナチスを引いたのだから、ナチスのやり方をしようとしているんだ、としているみたい。

私はそれは違うと読んだ。麻生さんは A. 十分に議論せず(上っ面の納得をさせるだけで)こっそり変える(これがナチス)、B. 侃々諤々と静かに深く議論する(麻生提案)、C. マスコミが騒ぎ国民が騒いで変える、の3つを念頭に置いていたように見える。「こっそり」「静かに、よく考える」「騒ぐ」のどれも出てくる。そしてナチスを冒頭で否定していて、騒ぐなと言ってるんだから、Bを主張している。

二項対立にするには「もう一度よく考えて」=「こっそり」と取らなきゃいけないので、そりゃ曲解だろと思うんだが。ブラックジョークを解さないというのは置いといても…

以上、ブラックジョークの適切さと、このような発言をする政治家としての資質は別として。今まで読んだ中ではこれ↓が一番まっとうな対応かな。

小田嶋 隆:麻生さんの「真意」のゆくえ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト

2013年8月1日木曜日

国文読解:麻生副総理の憲法改正めぐる発言

麻生さんの発言、一貫して意味を取れるように超訳(笑)してみた。

ソース:朝日新聞デジタル:麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細 - 政治
キャッシュ:(cache) 朝日新聞デジタル:麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細 - 政治
しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。
ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
読解のポイントは、なぜ最後に「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」とわざわざ言ってるか。なお、麻生語では、「ぜひ」と、「そういった意味で」は無意味なことに注意。以下、私の答案。
憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えて下さい。 
我々は狂騒の中、わーっとなった時の中でやってほしくない。
そういうことをすると、ナチス憲法みたいにとんでもない憲法を作ってしまう(*1)恐れがある。民主主義ってのはそういう危なっかしいものなんだ。みんないい憲法だと納得して、あの憲法は変わっているからね。もし皆さんがそういうろくでもない憲法を作りたいんだったら、誰にも気づかれないように憲法を改悪したナチスの手口を学んだらどうかね。わーわー騒いで気づかせるより、その方が賢いよ。
もちろん今のは皮肉で、ぼくは民主主義を否定するつもりはないけれど、ともかく、我々は重ねて言うけれど、喧騒の中で決めてほしくない。
(*1) 正しくは、全権委任法を成立させたこと、らしい。

静かにやっても民主主義ではああいうことが起きる、増してや狂騒の中で作ったらどうなるんだ、ということを皮肉で伝えたかったんだろう、というのが私の解答。どうでしょうか。

表情や口調のニュアンスが失われているから、レベル高い国文読解になってしまっていて、正解は麻生さんしか知らないけれど、その場にいて意味が取れないなら少なくともジャーナリストとしては落第じゃなかろうか。てか質疑の時間に質せなかったのかな。

2013年6月9日日曜日

FreeMind のアップデート

FreeMind で昔(0.8時代)作ったファイルを0.9.0で開こうとしたら

Error while parsing file:freemind.main.XMLParseException: XML Parse Exception during parsing of a map element at line 1: Expected: =

とエラーが出て開けなかった。(OS X 10.8.3)

でも unstable な1.0.0RC4を使ったら無事開くことができた。よかった。

長期保存の必要がありそうな書類はフォーマットを考えて選択しないとな。ソフトのバージョンが上がるたびに、それまでの書類をいちいち変換するわけにはいかない。

そう言えば職場で、以前に文豪(ワープロ)で作った書類が開けなくて大変に困ったことがあったっけ。

表計算ソフトのファイルは、CSVをいつも書き出しといた方がいいのかも。そう考えると、ワープロでは LaTeX が最強か。

2013年5月22日水曜日

Mac で Jenkins の文字化け

OS X (10.8.3) で Jenkins (1.515) をターミナルから普通に
$ java -jar jenkins.war
で動かしたら、ブラウザ (Chrome) で見るコンソール出力の一部で日本語(UTF-8 で出力したはずのもの)が文字化けした。
$ java -Dfile.encoding=UTF-8 -jar jenkins.war
で起動するといいようだ。

というメモ。

2013年5月14日火曜日

DVD プレーヤからディスクを取り出した

ソニーの DVP-S501D という十数年前の DVD プレーヤの電源が入らなくなり、ディスクが入ったままになってしまった。手でトレーを引き出せないし、よくある小さな穴(ピンを入れるとトレーが出てくる)もない。

本体をひっくり返してみたら、トレーの下のところに何やら穴があって、


奥にネジがある。


これをプラスドライバーで左に少し回すと、トレーが少し出てきた。それを指で引っ張って、無事ディスクを救出できた。(写真では本体を逆さにしてあるけど、救出時には上下正しく置いて下からドライバーで回した。そうじゃないとディスクが引っ掛かるか落ちる。)

なお、今回は本体は壊れたものとして諦めて、ディスク救出を優先したので、このやり方が本体にどんな影響を与えるかは知りません。正しくないかもしれない。やる場合は自己責任で。あるいはソニーに電話して訊くと教えてくれるかも(くれないかも)。

2013年5月13日月曜日

もうひとつの英語勉強法 (2):アメリカ発音を選ぶかイギリス発音を選ぶか


[前回:もうひとつの英語勉強法 (1):会話ができるためには何から学ぶ?

遊びに来てくれた卒業生に、英語の勉強法を教えてくれと言われたので、本でも書くかと思ったんだけど、このブログに少しだけ書いて続きを書いてなかったのを思い出した。というわけで、ここに書くことにするよ。

前回みたいにきっちり書くと大変で続かない気がするから、もっと気楽に行こうと思う。「勉強法」というより、勉強のコツを挙げる感じになりそう。タイトルがいまいちになってしまった。まあいいや。

さて本題。

どの発音を選ぶか


前回、発音の練習をしよう、と書きました。でも英語の発音は国によって違う。例えばアメリカ発音やイギリス発音など。どれを練習すればいいんだろうか。

もし特定の発音を選ぶ特別な理由がないのなら、私は「癖のないアメリカ発音」を基準にすることをお勧めします。(特別な理由とは、ある地域に住むことが決まってるとか、俳優になるなど。)

一番の理由は、勉強のための材料が手に入りやすいこと。経験上、日本にいて触れる英語はアメリカ発音が多い。テレビや映画、英語教材など。イギリス発音のものは、あってもやはりアメリカのより少ない。

「癖のない」は難しいけど、教材と銘打ってあるものや、辞書にアメリカ英語として収録されている音声は、だいたい癖のない標準的な発音になっているはず。ニュースキャスターの発音も標準的でしょう。映画やドラマは俳優さんによります。

もしも回りにイギリスやオーストラリア、カナダなどの標準的な英語の材料(あるいは友人など)があるなら、そちらを選んでもいいと思います。

自分がアメリカ発音で練習して、相手がイギリス発音だったときに聴こえるだろうか、という不安があると思いますが、意外と大丈夫です。アメリカ発音をひと通りマスターすれば、あとは慣れればイギリス発音も結構聴こえるようになります。

伝わる発音、伝わらない発音


イギリス人がアメリカ人に話すと、発音が違うのにちゃんと通じて、英語のうまくない日本人がアメリカ人に話すと、発音が違うために通じない、この差は何なのでしょう。

私が思うに、イギリス人は英語の個々の音を発音し分けていて、それぞれの音はアメリカ発音とは少し違うけれど、聴いたアメリカ人がリアルタイムで頭の中で自分の知っている単語に直せるくらいのずれなのではないか。これに対して、日本人は音を発音し分けない(例えば L と R)ので、聴いた方が自分の知っている単語に直せないのでは。

私自身、非ネイティブの英語を聴くときにこういう修正をやることがあります。フランス人が「アーシテクチュール」と言うのを頭の中で architecture に直したり。でも日本人の「ロー」を、low, law, row, raw あたりに直すのは大変。文脈で分かるならいいんだけど。

というわけで、私が思う「伝わる発音」とは、

  • 英語の音のバリエーションが発音し分けられている
  • それぞれの音が、標準的な音からそれほど離れていない
  • 一貫している(同じ音が常に同じように発音される)

というものです。要は、区別されてて、それっぽくて、ぶれなければいいのです。

ああ、ここで言ってる「発音」は、個々の音の話で、他に強弱(抑揚)の問題とかもあります。でもまずは個々の音が基本でしょう。

私の場合


私が本気で英語をやり始めたきっかけは、大学での LL の授業でした。細かい発音から教えてくれたその授業で扱っていたのが(いま思うと)アメリカ発音でした。アメリカからの留学生がそばにいたこともあり、その頃はアメリカ発音に似せようと努力したものです。

そこそこしゃべれるようになった後、オーストラリア英語を話す友達ができたり、アメリカに行ったり、イギリス系の友達とよく話すようになったりしました。英語での学会発表もしょっちゅうして、いろいろな国の人と話しました。

そんなことをしているうちに、アメリカ発音を苦労してやっているのが無駄に思えてきました。ただでさえ英語の発音は口や舌が疲れるのに、アメリカ発音に似せるのはさらに苦労する。そんな発音しなくたって通じるのです。イタリア人、ドイツ人、ベルギー人、日本人で英語で話すときには、誰も英語ネイティブな発音なんてしません。

そこで今は、通じるできるだけ楽な発音をするようにしています。アメリカ発音とイギリス発音と日本発音を足して3で割ったような。でも音は発音し分けているので、完全に通じますよ。自分では自信を持って「Japanese accent だ」と言ってます。

だから実は、もしかしたら日本人が英語をうまく(ネイティブみたいに、ではなく、通じるように)話せるようになるには、ネイティブよりも日本人(でうまく話せる人)に習う方がいいんじゃないか、とも思ったりします。

大事なこと


発音の練習で大事なのは、真似ることを恥ずかしがらないことだと思います。最初はうまくできません。練習してうまくなるものです。うまくなるまで発音しなければ、いつまでもうまくならない。まあ何でもそうですね。

どうせどんなに練習したってネイティブの発音はできない、と最初から開き直った方がいいと思います。英語を話す目的は、気持ちや考えを伝えることなんだから、伝わりゃいいんですよ。

リンク


The Free Dictionary この辞書サイトはアメリカ発音とイギリス発音の両方が聴けます。