2010年1月16日土曜日

外国人参政権と民主主義について考えてみた

アメリカに、大学の客員研究員として一年ほど住んでいたことがある。 交換プログラムのための1年間有効のビザ(J-1ビザ)を取得して行った。

向こうでお世話になった日本人の先生(残念ながら亡くなってしまったが)は、 アメリカの永住権を取得して長くあちらに住んでいた方だった。 日本との間を自由に行き来でき、アメリカには好きなだけいられる永住権は、 一年で帰らなければならない私から見ると、うらやましい特権だった。 帰らなければいけないので、せっかく取った運転免許は失効するし(今も未練がましく持っている)、 2年縛りの携帯電話の契約も結べないし、借家にも制限があるしで、いろいろと不便だったのだ。 しかしまあその先生はとても優秀な研究者で、アメリカに貢献すること大。 グリーンカードなど取れて当然なのだ。私などとは天と地ほども違う。

日本国籍を持っていながら、米国永住権を持つ。そんな永住権ですら特権だと感じていた私には、 最近日本で話題になっている「外国人参政権」が、どうも強力な特権に見えるのである。 というか、そもそも「外国人参政権」という言葉を初めて聞いたとき、その言葉自体が、何かおかしなものと感じた。

それからずっとこの問題について考えてきて、ようやく何かが見えてきたような気がした。 まあ私が見えるようなものはきっと新しくなんかないだろうし、 専門家じゃないので誤りや見落しもあると思うけど、 この問題に興味のある人に少しでも役立てばと思い、これまで考えたことをまとめておこうと思う。

なぜ賛成? なぜ反対?

外国人ってのは、日本国籍を持たない人だ。参政権という言葉の意味は広そうだが、 とりあえず選挙権と被選挙権のこととしておく。 で、「外国人に参政権を与えることは妥当か」という問題を考えてみる。

あっとその前に、ここでは「状況がどうだから」とか「これからどうすべきだから」は考えないと決めておく。例えば、

  • 日本は少子化の傾向にあるから移民を呼び込むために外国人に参政権を与えるべきだとか、
  • 帝国主義的な国があって侵略の危機があるから与えるべきでないとか、
  • 日本に住んでいる外国人の生活が好ましい状況にないから与えるべきだとか、
  • 外国人に参政権を与えた国がぼろぼろになってしまったから与えるべきでないとか、
  • 歴史的に朝鮮との関係で特別在住の人がどうだから与えるべきとか、
そういうことは(どれも大事なことだとは思うけど)ここでは考えないことにする。 まず原則としてどうか。 それが明らかでないと、どうすればいいかは分からないと思うから。

さて、外国人参政権に賛成する理由としては、

A1. 税金を納めているから
A2. 永住権を持っているから
A3. 同じところに住む者として平等であるべきだから
A4. 日本は日本人だけのものではないから

などを聞く。A1とA2は、ちょっと参政権との関係は遠いなぁとは思うが、まあ一理はあるかなと感じる。 A3はかなり説得力がある。A4はちょっと謎だけど。

それに対して、外国人参政権に反対する理由としては、

B1. 憲法に反しているから
B2. 参政権は国民固有の権利だから/主権は国民が持つべきだから
B3. 日本は日本人のものだから
B4. 国家に忠誠を誓う者すなわち国民だけが参政権を持つべきだから

などを聞くように思う。このうちB1にはあまり説得力を感じない。 憲法は変えることができるので、もしかしたらそうでないことも可能かも知れないからだ。 B2は何も主張していなくて、外国人に参政権を与えるべきでないのは、 外国人は参政権を持つべきでないからだ、としか言ってない。 B3は、まあそうなんだろうけど、それが参政権とどうつながってるのかよく分からない。 B4は…これもよく分からない。私自身、国家に忠誠を誓ったことはない。 むしろただこの国に生まれただけだ。

こう見ると、反対する側からの理由づけはとても弱い気がする。 もしかしたら、外国人が参政権を持ってもいいのかも知れない。 でも、私の感覚としては、外国人参政権はやっぱり特権に感じるのだ。

「民主主義って、何だ?」

それを考えないと分からないように思った。

民主主義を考える

そこで私なりに、民主主義とは何かを考えてみた。 専門家じゃないので用語とかがおかしかったらごめん。

民主主義は、みんなで意思決定をしよう、という考え方だ。 民主主義国家というのは、国の意思決定は国民がしましょうという国のことだと思う。

民主主義を考える前に、一般に国のことを考えてみる。

国には、統治者と被統治者(国民)がいる、と考えていいだろう。 統治者ってのは、国を統治する権力を持った人(々)だ。 この権力、つまり統治権が、普通「主権」と呼ばれるものだと思う。

国を統治するとはどういうことか。 極端に言えばそれはきっと、国に属するモノ(国土やそのほか国にあるいろいろなもの)を思うままにし、 また国民を思うままにするということだろう。思うままにするとは、所有ということだ。 想像の限り、可能な国の形(原始的なものや、きわめて暴虐なものも含めて)を考えてみると、 およそこんなところだと思う。

民主主義と国家を合わせると民主主義国家になる。 国における意思決定は、国民や国に属するモノをどうするか決めることだから、 それは統治権の行使であり、統治者が行なうものだろう。 それを国民がやるというのだから、統治者イコール国民だ。 これは国民主権を意味している。憲法に書いてあるやつだ。

つまり民主主義に基づく国家では、統治者と被統治者を一致させるべきだということなのだろう。 これにより、被統治者つまり国民は集団として自分自身の意思決定を行ない、 国民が国に属する人(自分たち自身)とモノをすべて所有する。 そうあるべきだというのが民主主義国家なのだと思う。

この「統治者と被統治者の一致」を民主主義の原則と見なすことにする。

これは奴隷制度の否定とも関係があるんじゃないかと思う。 奴隷とは、他人に所有され、自由を持たない人間のことだ。 それがなぜ悪いか。ひとつには不平等ということがあるが、 より本質的には、自分で自分に関する意思決定ができないことだろう。

(変な例だが、AさんとBさんという2人の人がいて互いに相手を所有している状態は、平等だが好ましくない。 奴隷制度の廃止の目的は自分自身による意思決定つまり自由で、平等は目的と言うよりはその結果だと思う。)

ここから自然に、法の下の平等という考え方ができる。 法の下の平等とは簡単に言えば、すべての国民が同じ法を等しく適用され、 また同じ法律上の義務を負い、同じ法律上の権利を持つこと、だったはず。 もし国民のうちの特定の誰かが他人より多く権利を持っていれば、それはより統治者に近いことになる。 逆により多くの義務を負っていれば、より被統治者に近い。 統治者と被統治者を一致させるんだよ、というのが民主主義の原則なのだから、 そういう差があってはおかしい。だから法の下に平等であるべきだ。うん、これは分かる。

では統治権と国民の参政権の関係は何か。 統治権は、国民と国のモノを思うままにする力だ。 その力は、今の日本では三権という形で整理されている。立法権、行政権、司法権の3つ。 立法権は法を定め、人に何かを強制する。行政は人とモノを扱う。司法は人とモノがどうあるべきか判断する。 それらの権利を行使するのはそれぞれ立法府、行政府、司法府で、行使する人は公務員と呼ばれる。 その公務員を選ぶ権利が選挙権、立候補する権利が被選挙権、他に立法で国民投票があって…と面倒だけど、 このへんひっくるめていわゆる参政権だろう。

だけどここではもっと簡単に、三権(統治権)を直接間接に行使する権利を参政権と呼ぶことにする。 いま巷で話題になっているのは選挙権と被選挙権くらいのようだけど、参政権をこう考えておけばそれらも含まれるので。 他には議員以外の公務員になる権利なども含まれてくる。

とりあえず、国と統治、統治者と被統治者、それらの一致を原則とする民主主義、 自分自身による意思決定、法の下の平等、参政権について、このように考えておく。

ここまでに書いたような考え方や仕組みは、住民がほとんどみんな国民で、 外国人はたまに短期間いるだけという世の中ではうまく動いていたのかなと思うが、 外国人の定住者が多くなると、果してこのままでいいのかということになる。 今がそういう状態なのだろう。

というわけで、まずは。

賛成側の意見について考えてみる

さっき賛成側の意見として、次の4つを挙げた。

A1. 税金を納めているから
A2. 永住権を持っているから
A3. 同じところに住む者として平等であるべきだから
A4. 日本は日本人だけのものではないから

A1を考える。

外国人旅行者は日本に消費税などの税金を納めているが、 参政権はないし、与えるべきだと思う人もいないと思う。

納めている税金の種類が少ないからなのか?  3か月間、日本に滞在している外国人旅行者が、 国民が義務として負う税金をすべて負担したなら(年額のものがあれば月割とかで)、 参政権を与えるべきか? それも違う気がする。 それを与えるなら、同じ理屈で、1日の滞在でも与えなくてはいけない。

ということは、滞在の長さの問題なのだろうか。 1年だと短いように思うけど、10年ならいいのだろうか。 ともかくも、長ければいいなら、永住ならいいはずだ。 それなら国民と同じなのだから。

そこで、A2が出てくる。 永住権を持っている外国人には参政権を与えるべき。 永住して、同じ税負担をするなら、それは国民と同等だろう。 同じ法律の下で支配されるのだから、 民主主義の原則である「統治者と被統治者の一致」によって、 参政権を持っていなければおかしい。

…いやー、でも、どうなんだろう。 最初に書いた米国永住権を持つ先生が、日本の参政権を持ちながら米国の参政権も持ってたら、 それは強力な特権のように感じるんだけど。 だって、いつでも日本に帰れるんだよ。 もし自分が米国永住権を持ってて、参政権も持ってたら、自分に得することだけ米国でやって、 そのせいで米国がおかしくなったら、はいさようならと帰ってこられる。 それはずるくないかな。参政権には責任は伴わないのかな。

もうひとつ。いま日本には徴兵制がないけれど、もしかしたらできるかも知れない。 ここでは憲法は変えられるという前提で考えているから。 徴兵制は別に民主主義には反しないし。あまりうれしくないけど。 で、そのとき、永住外国人を徴兵できるだろうか。 もしできないのなら、同じ参政権を持ちながら、一方は義務を負い、他方は義務を免れることになって、 それはつまり国民がより被統治者となり外国人がより統治者となるってことじゃないのかな。 それじゃあ民主主義から考えた平等の原則にも合わないんでは。

では、全ての義務を負えばいいのか。 永住外国人も、徴兵制ができたなら徴兵に応じて日本のために戦う、と。 他にどのような義務ができても、それに従う、と。 戸籍は登録するし、出生届も死亡届も出す(なんか変だなぁ…)。 それなら義務において平等だから、同じ権利を持っても、 民主主義と平等の原則には反しない。のかな。

国籍と民主主義の関係

永住外国人と国民の差は何だろう。 日本国民は、日本国籍を持つ。 外国人は、日本国籍を持たず、外国籍を持つ。 このことの意味は何だろう。

日本の国籍法は、猶予期間の規定を除いて、成人の重国籍を許していない。 例えば生まれたときに日本国籍と他国籍の両方を持つ子供は、22歳になるまでに国籍を選択しないとならない。 なぜだろう。なぜ単一国籍が原則なんだ。

私は幸か不幸か日本で日本人の両親のもとに生まれ、その時から日本国籍しか持っていない。 もし誰かが重国籍なら、それは特権だなと思う。 複数の国の保護を受けられ、状況によって住む国を変えられる。 法の下の平等は、一国の法の中でしか言われることがないようだけど、 重国籍はひとつの国という範囲の外で、しかしさらに重大な不平等だと感じる。 人間はその出生で差別されないんじゃなかったのか。

永住外国人が日本人と同等の権利を持ったとする。このとき、 日本に住んでいる日本人は、住んでいる地に権利を持つ(義務を負う)。他国には権利を持たない。 日本に住んでいる外国人は、住んでいる地に権利を持つ(義務を負う)と同時に、母国において権利を持つ(義務を負う)。

この差は、日本国内においては無視していいのか。日本国内で同じであればいいのか。

もう一度、民主主義そのものに戻ってみる。

民主主義とは、統治者と被統治者を一致させるべきということで、 それによって自らが意思決定するべきということ。 自らが意思決定するということは、自分の決定に従うということだ。

選挙権や被選挙権は立法権の間接的な行使だ。 法を作るのは統治権の行使で、それに従うのが被統治者である。 民主主義が要求する統治者と被統治者の一致から、 法を作った者はそれに従うべきだという原則が導かれる。

永住「権」を持つ外国人には、永住の義務はない。 母国の権利を持ったままいつでも日本を出て、日本の法の下から逃れられる。

それに対して日本人は、日本の法の下から脱するなら、国家による権利や保護をまったく失う。 これによって日本人は、死ぬまで日本の法に従う義務を負う。 その義務は、国家によって与えられるすべての権利および保護と引き換えになっている。

……参政権は、永住「権」を必要とするのでなく、むしろ永住の「義務」を必要とするのではないか。 いや、正確には「死ぬまで法に従う義務」を必要とするのではないか。

こう考えて国籍法を見直すと合点がいく。 国籍とは、死ぬまでこの国の法に従うという約束と見なせる。 もちろん約束を破ることはできるが、そうするともう日本の思恵は受けられなくなる。 国籍法が成人に国籍の選択を迫るのは、民主主義の原則から、 統治権の行使のためには被統治者となれという要求と見なせる。

もしこれが正しいなら、いくつかのことが言える。

まず、民主主義国家は単一国籍を要求するということ。 よって重国籍は民主主義に反するということ。 重国籍の人は、ある国で法を作ってから、自分が国籍を持つ別の国に逃げても、 国家による権利や保護をまったく失うということはない。 だから重国籍者は自分でなく他人を縛る法を作ることができる。

それから、外国人は被統治者ではあり得ず、ならば民主主義の原則によって統治権は一切行使できないということ。 すると、外国人は被選挙権だけでなく公務員となる権利も持たないことになる。

ただ、これについてはもう少し考える必要があると思っている。 裁判官になれないのはすぐに分かるし(裁判の判例は法的な拘束力があるので)、 警察官も多分だめだろう(裁量があるつまり意思決定ができるので)。 でも定められた事務仕事をする公務員までだめってのは、どうなのかなと思う。 このあたりは自分でまだよく分かっていない。

ともかく、これで違和感が少し解消された。 外国人参政権と重国籍はやっぱり特権だったようだ。 そして、どちらも民主主義の原則に照らすとおかしいようだ。 そのポイントは、自分が作った法律で他人を縛れるが自分は縛られない(逃げられる)というところにある。 それでは自己の意思決定でなく、他人を支配することになると。

ここで、外国人参政権の賛成意見で残っていた2つ、

A3. 同じところに住む者として平等であるべきだから
A4. 日本は日本人だけのものではないから

を考えてみる。

A3は、むしろ逆なんだ。 同じところに住む者として平等であるべきだから、外国人は参政権を持てないんだ。 統治権を行使して法律を作ったとき、一方はそれに死ぬまで縛られ、一方は(他人を縛ったまま)逃れられる。 これは不平等だから、外国人は参政権を持てない。そういうことだと思う。 一方は義務を負うから権利を持ち、他方は義務がないから権利もない。 そういう平等なんだと思う。

A4は、言い変えると「外国人も日本(の人やモノ)を思うままにできる」 つまり「外国人も統治権を行使できる」となる。 ここまで考えたことによれば、そうではない。 どうやら日本はやはり日本人のものだったようだ。

地方参政権について

いま特に話題になっているのは「永住外国人に地方参政権を与えるかどうか」らしい。 ここまでは基本的に国について考えてきたけど、ここから地方自治体(仮に、県)だとどうかを考える。

県を国と見なし、住民を国民と見なし、条例を法と見なすと、県とその住民は国家と見ることができる。 ここで住民に外国人を含むとすると、外国人には参政権を与えるべき、となる。

…のか? 

物事をきちんと考えるときには比喩を使ってはいけない。

県を国と見なすなら、主権があるはずだ。 地方参政権を考えているので、民主主義を仮定してもいいだろう。 すると、主権を持つのは県民であり、よって被統治者も県民だ。 そして県が国土となり、県にあるものが県のモノになる。

だけどそうすると、県民と県のモノは、同時に国民であり国のモノとなってしまう。 同じ対象に対して、県民と国民が同時に(ここで考えている)主権、 つまり「思うままにする権利」を持つことはできない。 国民が主権を持つなら、県民は主権を持てない。 だから県を国と見なすことはできない。 「地域主権」という言葉も聞くけど、 ここで言う意味の主権=国家主権のことではないと思う。

さてしかし、県や県民も国の統治権に含まれるような力を行使する。 条例を定めて人の行為を縛ったり、税金を取ったり、警察権を行使したり。 なぜそれができるんだろう。何がそれを正当化するのか。

考えられるひとつめは、国の主権を、国の意思に従って、単に県が代わって行使している、という見方。 だとすればその行使は国民にしか許されず、よって外国人参政権は否定される。以上。

でもこれは違う気がする。これだと地方自治という考え方にそぐわないように思うからだ。 地方自治というのは、国の考えとは別に、地方が考えを持って自らを治めるべき、という考え方だと思う。

考えられるもうひとつは、国がこの地方自治という考え方によって、 その主権の一部を自ら制限して、その制限された主権の部分について 県が人やモノを思うままにできることにした、という見方。 思うままなのだから、主権の一部が委譲されていると見てもいいだろう。 地方自治は憲法に定めてあるので、国が主権を自ら制限したという見方は悪くないと思う。 これがいわゆる「地方分権」ってやつかも知れない。

これだと国は、もともと国民のものである主権の一部を県に渡したことになる。 ならばその行使は、やっぱり国民にしか許されないはず。 こう見ても、外国人参政権は否定されるように思う。

…うーん、これだとちょっと漠然とした理屈で、自分でもいまいち納得がいかない。 そこで実例で考えてみた。

仮に日本が道州制を導入して、日本が2つの州になることになったとする。 極端だけど、思考実験なのでまずは2個で。東州と西州にしよう。 そして、外国人に地方参政権があるとする。

東州に外国人Aさんが住んでいて、 そこでAさんが意思決定に参加した結果、Xという州法が制定されたとする。 次にAさんは西州に引っ越した。 そこでAさんが意思決定に参加した結果、同じXという州法が制定されたとする。 そしてAさんは国へ帰った。

このとき、統治者と被統治者の一致という原則は守られているか。 Aさんは統治権を行使して州法Xを作ったが、州法Xによって統治される義務からは逃れている。 でも日本人は統治される。 これは民主主義ではないし、平等でもない。

州が多ければいいのか?  引っ越してから一定期間は選挙権は与えられないだろうから。 州が7つくらいあればいいのか。 いや、1都1道2府43県ならいいのか。

もう一度、民主主義に戻ってみる。 民主主義では、集団全体の意思決定に、その集団全員が従うことになっているように思う。 ということは「集団の意思」というものがあると考えているはずだ。 それを個人個人の考えから作り出すのに、多数決という手段を採用しているのだろう。

集団に意思があるなら、とある外国人の集団と、その意思というものを考えることができるはず。 この集団は民主的であってもいいし、別に民主的でなくてもいい。 そういう意思を持った集団の構成員が、それぞれの州だの県だのに分散して、 意思決定に参加し、その集団の意思を実現したなら、 日本においてその集団が統治権を行使したと言えるんではないだろうか。 その集団は日本を去ることができるのだから、被統治者ではない。 これは民主主義の原則に合わないだろう。 少なくとも、去ることができる人(外国人)と去れない人(日本人)では、 明らかに外国人の方が特権を持っていて平等でないように思う。

外国人に地方参政権が与えられたなら、地方をどのように構成してもこの状況が発生しうる。 つまり外国人地方参政権は民主主義の原則に合わないということになると思う。

すべての地方で同じ法律や条例が制定されるということが実際に起きるかどうかは分からない。 しかし、一つの地方で外国人の参政権行使によって法律が制定されただけでも、 「その地方にその法律がある国」から出られない者(国民)と逃げ出せる者(外国人)の間には差が生じるし、 だからやっぱり国民がより被統治者、外国人の方がより統治者になってしまうと思う。

地方自治と民主主義

この問題を考えていて、地方自治と民主主義の関係ってあまりすっきりしないな、と思った。

国の場合は、統治者=被統治者=国民で、自分が作った法に縛られるために国籍がある、ということで きれいに理解できた気がするのだが、地方自治の場合、例えば統治者=被統治者=県民としても、 県民は他県に簡単に引っ越せるので、自分が作った条例に縛られてくていい。 作りっぱなしってことができる。これは、ここまで考えた民主主義の原則に合わないようだ。

で、他県に引っ越していいなら、日本人も外国人も差がないので、 地方については外国人に参政権があってもいいだろうという理屈が成り立つように見える。

でも上の外国人Aさんの例や外国人集団の例で考えたように、 国との関係で考えると、外国人地方参政権は民主主義に合わないことになるようだ。

これを理解するのには苦しんだ。

まず少なくとも言えるのは、地方自治は、国との関係を無視しては考えられないということだろう。 「県では厳密な民主主義は成立していないのだから外国人参政権は可能」とは言えないことは、 この2つの例が示していると思う。

では、地方自治に関して、民主主義はどう実現されているんだろう。

上の2つの例が示すのは、地方の意思決定に従う義務を(国から出られないことによって)負うのは国民だということだ。 ということは、地方自治における統治権の行使によって統治される被統治者は、国民である。 ならば民主主義の原則から、地方自治において統治権を行使してよいのは国民だけとなる。 これが上の2例についての結論だった。

しかし、県において統治権を実際に行使するのは県民だ。 選挙権、被選挙権、いろいろな公務員。 ああ、一部そうでない場合があるみたいだな。 裁判官とか、国から県警に派遣される公務員とかもいそうだ。 でもまあおよそ県民によって統治権は行使される。それが自治ってものだろう。

そして、県における統治権の行使によって縛られるのは、 まあ国の主権が制限されているので国民とか国のモノもあるだろうけど、 およそ県民と県のモノだ。

統治権を行使するのは基本的に県民で、 統治権の行使によって統治されるのも基本的に県民と県のモノ。 それと同時に、主権は国民にあって、被統治者は国民。

よく考えると、国の統治権が一部の人だけによって行使されるのは普通のことだ。 代議制なんかはそう。 国民は国会議員を選挙で選ぶ。選ばれた国会議員が統治権を行使して立法する。 国民は直接には立法はしないけど、それによって統治される。 行政権を行使する官僚についてもそうだ。

それに、統治権の行使の対象が一部の国民であるのも普通にある。 我々はいつも、例えば特定の職業について規制する法律なんかを作ってる。 北海道の開発のための法律なんてのもあるみたい。

だから、こう考えるとよいのではないか。 統治者は国民である。 統治者は憲法によって、地方での統治権(選挙権や被選挙権)の行使を そこの住民に認めることにして、地方自治を実現することにした。

誰に統治権を行使させるかを、国会議員の場合は選挙でその都度決めることにしたけど、 地方自治の場合には憲法でもう住民と決めちゃった、と見る。

これなら地方自治は民主主義の原則に従っていると見ることができる。 地方自治についても、統治者と被統治者は国民。 だから、統治権を行使するのが「およそ」県民だったり、 行使の対象が「およそ」県のモノだったりするのが、 すごく問題になったりはしないわけだ、きっと。

これはひとつの解釈にすぎないけど、でも自分としては、 地方自治も民主主義に従っているみたいで、とりあえず安心した。

責任について少し

なんか理屈っぽくて疲れてきたので、ふたつ具体的な話を書いてみる。 意思決定と責任に関することで、ここまでの面倒な話とは直接は関係ない。 でも間接的には関係していると思う。

県が何らかの意思決定をしたおかげで、 不幸にも他国と戦争をしなきゃいけなくなったとする。 例えば変なものを海に流したとか、他国に対して県知事がおかしな発言をしたとか、 あるいは逆に他国が日本を攻めるのに便利な足場になるような設備を作っちゃったとか、 まあいろんな可能性があるよね。 そんでもって、いきなり徴兵制とかできたりするかも知れない。 もし元々の意思決定に外国人が入っていたら、 その人は徴兵に応じて、日本のために命がけで戦ってくれるだろうか。 戦争になる頃には母国に帰ってたりしないだろうか。

あるいは県が、以後毎年税金を特定の他国(X国とする)のために使う、と意思決定したとする。 使い方は、直接送金なんてのはあり得ないけど、まあ特定の事業に注ぎ込むとか、いくらでもやり方はある。 実はその決定をした時にはX国人がその県にそこそこいて参政権を行使したのだけれど、 それが決まったら母国に帰ってしまったとする。 県に住む国民は何のために税金を払うことになるんだろう。 それは自己による意思決定なのだろうか。

こんなふうに意思決定に対して責任を負わなくていい仕組みだと、おかしなことになりそうに思う。 民主主義が意味する自己の意思決定は、責任を負うことも含むんじゃないだろうか。

EUと外国人地方参政権

本題に戻る。

EUでは、EU加盟の他国の国民に地方参政権を与えている国があるらしい。 これと民主主義との関係を考えてみる。

EUに加盟していて、EU加盟の他国民に地方参政権を与えている民主主義の国を考える。 仮にアイルランドとしておく(実際にアイルランドがどうしているかは知らない)。 その一地方(仮にダブリン州とする)において、 地方参政権が、そこに住むEU加盟国の国民(EU民と呼ぶことにする)に与えられているとする。

アイルランドの主権はアイルランド国民が持っている。 上の地方自治で考えた第一の見方に従って、 その主権の一部がそのままEU民に与えられたと考えると、それは民主主義に反するだろう。 アイルランド人でないEU民がアイルランドの主権を行使することになってしまうから。

第二の見方で考えても同様になるみたいだ。 アイルランドがその主権の一部を制限し、 主権の一部を地方自治のためにダブリン州に渡したと考えてみても、 行使される権利はやっぱりアイルランドの主権だからアイルランド人でないEU民はダメってことになる。

ということは、この外国人地方参政権は民主主義に反する!

いや、前提を少し緩めると大丈夫になりそう。

これまで考えてきた民主主義は、 国家主権を国民だけが行使することで統治者と被統治者を一致させようとする民主主義だと思う。 「統治者と被統治者の一致」が目的で、「参政権は国民固有の権利」が手段。 同じ目的が達成されるなら、別の手段を選んでもいいのかも知れない。

こんな感じに。まず国民主権という原則を、地方に関しては緩める。 そして、アイルランドに関しては国民が統治者であり被統治者であるが、 ダブリン州に関してはEU民を統治者つまり被統治者とする。 アイルランドはその主権を制限し、ダブリン州に関する権限をEU民に委譲した。 アイルランドが単一国籍を要求するなら、それによって アイルランド国民がアイルランドの被統治者であることが義務づけられる。 またもしEUに属する国すべてが単一国籍を原則にしているなら、 EU民がダブリン州において被統治者であることは EUのいずれかの国に国籍をおくことで(EUから出られないから)義務づけられる。 このとき、ダブリン州とEU民の関係は、例えば東京都と日本国民の関係に似ている。 東京都で条例を作った日本人が日本から逃げられないのと同じように、 ダブリン州で法を作ったEU民はEUから逃げられない。

(EUから出られないためならEU内の重国籍でもいいけど、 そうすると国籍を持っている国において被統治者かという問題が起きる。 まあでもアイルランドにおける地方自治には関係ないかも。)

これならば、統治者と被統治者の一致は実現できているし、地方自治も実現されている。 これに加えてEU内においてEU民が法の下に平等でないといけないと思うが、ここでは深入りしない。

日本で外国人参政権を実現するには

EUについて考えたようなやり方で日本で外国人地方参政権を実現しようとするならどうなるかを考えてみた。

民主主義の原則から統治者と被統治者を一致させなければならず、 その一致のためには何らかの形で自らが作った法から逃げられないようにする必要がある。 国籍による以外の物騒な方法も思いつくけど、 国籍から離脱する自由(その国家による権利と保護は捨てて)はあってよいと思うので、 そうであれば今の日本と同じように、国による権利や保護と引き換えに統治される義務を負う、というやり方がよさそうだ。

ならば上で考えたやり方のように、 特定のひとつあるいは複数の他国と国家群を作り(これが「逃げ出せない範囲」になる)、 そのすべての国民が統治者つまり被統治者となるのがよいだろう。 そのために、国民主権の原則を地方に関して緩めて、その国家群の国民には認めることにする。 このとき、民主主義から導かれる平等の原則から、どの国の国民も、 その国家群内のそれぞれの地方について、同じ権利を持ち、同じ義務を負うようにしなければならないはず。 例えば居住の自由や、住民としての権利などが、どこの国民かで異なってはいけないことになる。

これで十分ではないと思うが、民主主義の原則と平等の原則を満たすには 少なくともこのくらいの条件は必要だろう。 日本にとって、この条件が成り立つような他国は、私が見る限り今は無いように思える。

まとめ

いろいろ考えてきたけど、結局、いくつかの単純なことが基になってるみたいだ。

  • 民主主義の原則:統治者と被統治者の一致
  • その一致は単一国籍によって実現されている
  • 法の下の平等
  • 参政権の行使は、それが国政であれ地方であれ統治権の行使である

これらを考え合わせたところ、日本の現状で参政権(地方参政権を含む)を与えられるような 外国人はいない(永住外国人も含めて)という結論に達したと思っている。

以上、専門家でもない人間が自分で考えてきたことを書いてみた。 とんでもなくおかしなことは書いてないと自分では思っている。 まだまだ考えるべきことは多いけど(例えば上のEUの方式で 外国人に地方参政権を与える場合に国権と地方権が所有するモノの範囲の切り分けなど)、 これまで是であるとも非であるとも納得できなかったことが、 何とか納得できたように感じて、ほっとしている。

素人丸出しできっと恥ずかしいんだろうけど、 ネットに載せる意味がわずかでもあればいいや。

ああ、あとこのエントリーの著作権は放棄するので、 こんな駄文でよければ自由に使って下さい。

2 件のコメント:

  1. ながーい(^^;;
    後でゆっくり読ませていただきます。

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  2. 読ませていただきました。
    平たい言葉を使っておられるのが、好印象でした!
    内容も分かりやすく、且つ説得力あり、納得いたしました。
    国政と地方行政が、民主主義においてどう繋がるか、とても参考になりました。
    穏やかな語り口でありながら、力作だと思います。
    どうもありがとうございます!

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